一般公開を再開!20mm機銃など室内展示も始めました!

9月12日(土)、紫電改の一般公開を再開

 プールで脱塩中の紫電改の一般公開は、8月中はあまりに暑さのために一時中止を余儀なくされましたが、9月から再開しました。残念ながら、5日(土)は台風24号のために中止となり、実質的に12日(土)からの再開となりました。

 ひさびさの再開のために、客足が遠のくのではと正直不安でしたが、午後1時、待ち構えてたとばかりに一斉に10数名の方がお見えになりました。「再開が待ち遠しかった」「やっと見に来れた」など、岐阜県や愛媛県など遠方から駆けつけていただいた方の声を聞いてようやく安心できました。当日は、県内外から合計約40名の方が来場されました。時折小雨が降る中、よくぞおいでいただきました。厚くお礼申し上げます。

久しぶりに一般公開用のプールに活気が戻ってきた。
この日は時折小雨が降る中、40人ほどの皆さんにご来場いただいた。

この日から仮設の室内展示もスタート!

 一般公開と同時に小規模の室内展示も始まりました。下の写真奥に見える工事現場用のコンテナハウスが仮設の展示ルームに大変身中です。


 

 プロペラや20mm機銃など、すでに脱塩、防錆の作業を終了している装備品や部材は、一時保管を兼ねて室内展示をすることにしました。

 水槽を見た来場者はその足で仮設の展示ルームを見ることができます。やはり水中にあるのと間近に見るのとでは迫力が違います。多くの方が補修の出来栄えに驚いておられました。

保存処理を終えた装備品関係の保管を兼ねた仮設展示ルーム。
狭いながらもエアコン付きのため、快適に見学いただくことができた。

 現在のところ、展示ルームで見学できるのは、プロペラ2枚、機銃1挺のほか、乾燥中のバッテリー、自動消火用のガスボンベ、翼内弾倉のジュラルミン製の蓋、その他写真パネルなどです。今後、順次、小物を中心に展示していく予定です。

 次回の一般公開日は9月19日(土)13時~16時となります。駐車場については、プールの近くに無料で止めるスペースがあります。

                                     以上

 

プロペラの補修が完了、20mm機銃などと仮設展示ルームで一般公開へ

プロペラの補修が完了。仮設展示ルームで一般公開へ!

 8月1日に水槽から引き揚げたプロペラブレード2枚は、同4日に表面の異物を除去し、25日間の乾燥工程を経て、同29日に保存処理を行い、補修作業の全工程を完了しました。

まずはサンダーなどの機材を使って粗削り(1次研磨)から始めました。研磨パッドの種類はベテランが慎重に選定します。

1カ月近い乾燥期間を経て、ようやくプロペラの表面処理作業に取りかかりました。異物の除去は済んでいますが、小さな残留物が固着しているほか、表面はごつごつしています。防錆剤を塗布するには、これらをきれいに除去して表面を滑らかにする必要があります。初めにサンダーなどで大まかに表面を整え、その後に、目の粗いサンドペーパーから順にきめの細かなペーパーに換えて仕上げます。

最後はきめ細かなサンドペーパーで丁寧に仕上げます。暑さに加えて小さな粉塵が空中を舞うなか、結構な重労働でした。

約1時間で1枚を仕上げ、同じ要領で2枚目も仕上げました。キラキラとしたジュラルミンの地肌が印象的です。

ついで、最終工程となるクリア塗装です。私たちは各種の情報をもとに、ウレタン樹脂を塗布(噴霧)する方法を選択しました。

なお私たちの補修の考え方について補足すると、原則的には「引き揚げ時の機体の形状をそのまま長期保存する」ことをめざします。したがって変形したプロペラを本来の形状に加工する予定はありません。

経験豊富なメンバーが手際よく作業を進めたので、2時過ぎに作業は終了しました。

 

仮設展示場を設置し、プロペラ、機銃などを展示予定

 さて8月一杯は一般公開を中止していましたが、9月からは7月までと同じ要領で一般公開を再開する予定です。初日は9月5日(土)午後1時からとなりますが、仮設のコンテナハウスを現地に設置し、保存処理の済んだ装備品などを順次展示していく予定です。(注)9月5日の一般公開は台風により中止となりました。

このほど、銃身に残る弾薬を除去するために機体から取り外して真ん中を切断した2挺の20mm機銃のうち、1挺の補修が完了したので、展示の方向で調整中です。

補修を完了した20mm機銃(左)と補修中の機銃(右)。もちろん外形的な補修であり、実用性はまったくありません。というわけで銃刀法の対象外。補修作業はプールとは別の作業場で進められています。

できれば9月5日に展示する方向で準備を進めていますが、見ていただくための環境を整える必要もあるので、少し時間がかかるかもしれません。期待してお待ちください。

以上

 

林喜重大尉と海兵69期の同期生たちー海軍出水基地をめぐって

林喜重大尉の兵学校時代の写真を入手!

 林喜重大尉は海軍兵学校(海兵)の第69期卒業生でした。一般にこの期を海兵69期と呼びます。昭和16年の3月に士官候補生として卒業した342名の海軍の将来を担う若者たち。そのうち約7割が太平洋戦争で戦死しました。

 今回、ある方から海兵69期の卒業アルバムを見せていただきましたので、林さんにまつわる同期の人物たちを簡単に紹介したいと思います。

 このアルバムを所持しておられたのは、阿久根町(当時)出身の海軍士官、村山芳文の15歳年下の弟さん。芳文が生前書き残した手記によると、林喜重とは兵学校の3号生徒と2号生徒だった2年間、同じ分隊のメンバーでした。この分隊の同期生は9名で、そのためかアルバムには仲良く隣同士で写っています。(注)新入生を4号生徒、最上級生を1号生徒と称した。なお同期の就学期間は3年間に短縮された。

前列左端が林喜重、その隣が村山芳文。初期練習機の前で同期の分隊メンバーたちと。芳文の手記によると、このうち終戦時に生存していたのは3名のみ。

 体格のいい芳文の隣では、林喜重のきゃしゃな体がひ弱そうにに見えてきます。弟さんが芳文から聞いた話では「林さんは小柄で器械体操が上手だった」そうです。

後列右端が林喜重、その隣が村山芳文。昭和15年7月7日との裏書がある。

今日に伝わる海兵69期生の素顔

 まずはハンモックナンバー順に紹介します。全国から集まった秀才集団ですが、海軍では成績順に卒業席次が決まっていて、卒業後も儀式などで着席するときは成績順が基本でした。この席次はハンモックナンバーと呼ばれ、一生ついてまわりました。

ここで紹介する海兵69期生のハンモックナンバーと略歴(敬称略)

貞閑敏明   6   生存  爆撃機(恩賜の短剣組、出水空飛行隊長)

岩下邦雄    38   生存  戦闘機(横須賀航空隊紫電隊隊長)

大庭良夫  80   戦没  戦闘機(S18ラバウルで戦死、二階級特進)

林 喜重  90   戦没    戦闘機(343空戦闘407飛行隊長)

戸塚浩二  97   生存  爆撃機(521空~台南空飛行隊長)

村山芳文   125   生存  潜水艦(波103号艦長)

(総 員 342名)

 気になる林喜重のハンモックナンバーは何番かというと、90番でした。兵学校時代はそれほど目立たなかったようですが342名中の90番なので、小さい体でよく頑張ったといえるかもしれません。

 林大尉がラバウルで同時期に最前線で生死を共にした快男児―大庭良夫中尉(死後少佐、二階級特進)や、昭和19年の暮れに紫電改の部隊編成のために出水基地にやってきた際に、おそらく突然出くわした名物飛行隊長-貞閑(さだか)敏明大尉も同期です。佐賀の農家の次男坊で、出水航空隊の飛行隊長として破れズボンで熱血指導を行った貞閑敏明はなんと6番。卒業時は恩賜の短剣を賜ったほどのエリート中のエリートでした。貞閑は後年、同期では林喜重が戦闘機乗りとして名を馳せたと回想しています。

 出水で紫電改部隊を編成し、紫電および紫電改の操縦訓練を行っていた林大尉は昭和20年の1月24日、出水の飛行場からダグラス輸送機3機を連ねて松山の343空本拠地に向かいました。貞閑大尉は滑走路前の床几に腰かけて腕組みしながら新鋭戦闘機部隊の活躍を祈るように見送ったのではないかと想像します。それが林喜重との最後となりました。

超エリートで豪傑肌の貞閑敏明(前列左から2番目)は、昭和19年3月以来約出水空で13期、14期予備学生や予科練甲飛13期生2000人以上を指導した。情誼に厚い名物飛行隊長だった。

 長身でハンサムだった大庭良夫は新橋芸者衆がぞろぞろ後をついてきたという逸話が残るほど持てたそうですが、成績も80番と文句なし。ラバウルに出征すると、林中尉がすでに分隊長として活躍していました。大庭中尉はこの中では最も早く戦死します。南方の激烈な航空戦闘を連日指揮し、昭和18年12月23日、同日の「201飛行隊行動調書」によると、ラバウル方面の基地を爆撃に来たB24リベレータなど26機および直掩戦闘機F6Fなど40機余の来襲に対し、ゼロ戦30機で迎撃戦を行いましたが、未帰還2機、そのうちの1機が大庭中尉機でした。大庭中尉は、激戦地での目覚ましい貢献が認められ、特攻ではないにもかかわらず二階級特進しています。ちなみに大庭良夫と貞閑敏明は旧制佐賀中の同級生でした。

後列中央が大庭良夫。長身ながら戦闘機隊を率いるも、ラバウルで戦死

 岩下邦雄は雷電や紫電部隊の隊長として激戦を潜り抜け、後年零戦の会の会長を務めるなど、海軍の戦闘機や空戦に詳しい著名人で、成績も非常に優秀でした。

 今回の卒業アルバムを大切に保存していたのは旧制出水中出身の村山芳文。筆者にとっては大先輩にあたります。波号103潜水艦艦長で終戦。気になるハンモックナンバーは125番でした。342名中の席次なので、決して悪い成績ではないと思います。芳文は昭和19年の1月に阿久根で結婚式をあげました。その際、貞閑敏明と戸塚浩二は遠路友人の挙式に駆けつけ、「貴様、貴様」とどすの利いた声で兄と呼びあっていたと、当時8歳だった芳文の弟さんは記憶していました(弟さん談)。2人ともその時点では出水基地とは接点はなかったと思われるので、休暇を取って汽車でやってきたのか、要務飛行と称して出水基地まで飛んできたのか、まだ余裕のある時代だったのかもしれませんね。

後列右端が村山芳文。林喜重の戦死の地が自身の生地、阿久根近海と知ったのは平成4年のこと。病と闘いながら戦死の経緯を調べて手記を残した。その数年後、友のもとへ旅立った。

 貞閑の回想記には「同期350名(正しくは342名)のクラスの内、『飛行機乗り』を選択したのが140名。その中で、終戦時に生き残っていたのが15名。1割しか生き残れなかった」とあります。特攻は学徒出陣組が数の上では多かったのですが、戦死率でいえば、68期から71期までの兵学校卒業者の死亡率はほぼ7割に及びます。特に69期の飛行機乗りは9割が戦死したことになります。その中で名を残すことのできた林喜重はある意味、恵まれていたのかもしれません。(文中敬称略)

典拠:『海兵第69期卒業写真集』、『おおいたの経済と経営』(No.99)

 

紫電改の脱塩工程、いよいよ新たなステップへ!

8月1日、プロペラをプールから引き揚げました!

紫電改・林大尉機の引き揚げ後の流れはメディアの報道でご存じのとおり、毎週土曜日の午後に機体を浸けたプールを公開し、多くの皆さんにご覧いただいています。ただ、8月中は、あまりの酷暑のために一般公開は一時中止とさせていただきました。

この期間を利用して、プールの保守・整備作業や機体の状況確認などを行っています。その一環で、8月1日(土)の午後には炎天下のなか、ポンプでプールの水を撹拌し、水質の改善を行ったほか、脱塩中のプロペラを引き揚げました。

スタッフがプールに入り、水質や機体状況を確認。また支援者からいただいたポンプで水流を起こし、水質の改善を試みる。そのあとプロペラを引き揚げた。脱塩工程の終了第1号。

機体の脱塩期間は約1年間を想定していますが、機体すべてを同時に次のステップに進めることはできないので、順次できるところから行う予定です。そこでトップバッターに指名したのはプロペラ。プールに浸けて丸3カ月、引き揚げるのはやや早い気もしましたが、実は、機銃弾を受けた痕と思われる深い傷口から何らか成分が溶脱しており、傷口自体も見分けがつくほど大きくなっていたのです。プール内の塩分濃度は(家庭用の塩分計ですが)すでに0.0以下となっているので、今後大きな脱塩効果は見込めないと判断し、まずはプロペラから引き揚げることにしたのです。

プロペラの弾痕らしき傷口から白い成分が溶け出しており、傷の穴も大きくなっている。

8月4日、プロペラにへばりつく頑固な付着物を除去!

8月1日に引き揚げたプロペラの表面には、81年間の海底生活で自然に付着し、そのまま定着した天然の衣がしっかりとへばりついていました。しかし、金槌で激しく表面をたたくと気持ちよくパリッと割れてはがれます。実は、この天然のコーティングが機体の腐食を奇跡的に防いでくれていたと思われるのです。しかし、大気中ではこのままだと酸化が進行してしまいます。また、この固形物質の上から防錆塗料を塗ることは可能ですが、不純物の上からでは防錆効果は期待できないようです。

そこで、引き揚げて3日後の8月4日、今度は午前9時から付着物の除去作業を行いました。台風13号がやってくるせいかすさまじい湿気のなか、集まった4人でひたすら金槌をたたき続けます。近隣では鍛冶屋のようなカンカンという騒々しい音に眉をしかめたかもしれません。2時間後、ふらふらになりながら何とか不純物を取り除くことに成功しました。出来上がりは、黒々としたしっかりとしたジュラルミンです。

上の写真は作業開始のころ。下の写真は作業完了時のプロペラ

何とか午前中で作業は完了しました。ジュラルミンの美しい地肌が現れました。これからしばらくは金属内部に残る水分を完全に蒸発させるまで乾燥工程に入ります。1カ月ほどかかるという話もありますが、除湿剤を利用して早めに乾燥を終了させるつもりです。そのあとに防錆処理工程に入ります。こうした作業を部品、部材ごとに愚直に進める予定です。最後のクライマックスが両翼とエンジンおよび本体の一連の作業です。興味のある方にはぜひボランティアで協力していただきたいと考えています。その節はよろしく!

メディアの反響からみた紫電改引き揚げの衝撃度

 まずは、下の写真をご覧らんください。

KTS鹿児島テレビが7月2日公表した今年上半期の注目ニュースランキング

 

 KTS(鹿児島テレビ)が7月2日夕方のニュース番組の中で発表した今年上半期の注目ニュースのランキング上位10件です。ローカル局らしいニュースが目立ちますが、紫電改引き揚げのニュースが他を圧倒して1位にランクインしています。

 紫電改がダントツ1位となった理由は、県民の関心も高かったに違いありませんが、おそらく日本中で関心のある人がアクセスしてきたからではないかと思われます。

 全国的な高い関心を裏づけるのが、次の写真です。

4月8日夕方に放送されたテレビ朝日のスーパーJチャンネルのユーチューブ動画

 写真の左下に小さく再生回数が表示されています。4月8日の引き揚げ当日の夕方に放送された全国ネットのニュースですが、その後すぐにユーチューブにアップされました。7月6日時点での再生回数が123万回近くに達しています。Xやインスタグラムなどのアクセス数とは性格が違うので、100万回越えということは、非常に大きな反響があったことを示しているのではないでしょうか。

 

 ニュースの反響がどれくらいだったのか、正確なところかわかりませんが、報道機関がユーチューブにアップした個々のニュースの再生回数を比較してみれば、ある程度は予測がつくと思われます。

 その結果、このニュースは、一定程度、国民的な関心を集めたものと判断しています。コメント欄への記入内容などから、おそらくは戦争の記憶を持つ高齢者から20代前後の若い世代まで、幅ひろく注目を集めたものと推察しています。

 また、読売新聞が開催している4月度の読者ニュース写真コンテストで、一席に入選したのが紫電改の引き揚げの瞬間をとらえた写真でした。81年という時の重みを感じさせる渋い作品でした。

 これほどの衝撃を日本国民の広い層に与えるニュースだったとは、われながら思ってもみないことでした。

 なお、6月8日に財務省から私たちの団体に機体が払い下げられました。この機体をどう残していくべきか、どうやら新たな責任を背負い込んでしまったかな、という複雑な心境です。

『紫電改のタカ』ちばてつや先生!コメントありがとうございます!

感激!ちばてつや先生からコメントいただきました!

 まさか、私たちの紫電改引き揚げ活動を『紫電改のタカ』の作者、ちばてつや先生が見守っていてくださったとは!

 本日、知り合いから先生のブログにコメントがあったことを教えてもらい、初めて気がつきました。4月13日のアップなので、4月8日の引き上げ直後の記事ですね。恥ずかしながらまったく気がつきませんでした。下記が先生のブログです。

「紫電改のタカ」 | ちばてつやのブログ『ぐずてつ日記』

 私が小学校4年生のころでした。当時は少年が日本の戦闘機で活躍する漫画がとても人気がありました。その代表的な作品の一つが『紫電改のタカ』でした。

 先生は戦争物の作品はあまり気が進まなかったと何かに書いてありましたが、この作品は今読んでも決して古さを感じません。先生のやさしさにあふれているように思えます。私は、この漫画で紫電改という素晴らしい機体があったことを知りました。しかし、それから60年近くがたち、こうして実際の紫電改の機体と向き合っていると、人の命のはかなさ、それゆえの命の尊さをしみじみと感じます。

 先日、出水に見えた浦沢直樹先生が近々、とあるTV番組でちば先生と対談されると伺いました。きっと出水で見たこと、感じたことをお話しされることでしょう。それに対し、ちば先生がどう反応されるのか。これはいよいよ見逃せない番組になりました!

                                   以上

 

 

TV番組『遠くへ行きたい』で浦沢直樹さんが紫電改に感激!

日本テレビ系列で6月14日および鹿児島では8月30日に放送決定!

制作会社の企画書から。各地の事情で放送日時は異なるので要注意!

5月9日、『YAWARA!』や『MONSTER』『20世紀少年』などのヒット作、傑作で著名な漫画家・浦沢直樹さんが紫電改を見にはるばる鹿児島までやってきてくれました。もともと出水の特攻基地跡を尋ねたかったとのこと。今回、『遠くへ行きたい』の番組からオファーがあり、それならちょうどいいと、引き揚げられたばかりの紫電改を見に来られたというわけです。とても楽しいロケでした。ぜひご覧になってください。

出水の海軍基地から特攻隊が出たことはあまり知られていませんが、銀河部隊を中心に壮烈な戦死を遂げられた方々を顕彰・慰霊する特攻碑が残っています。

折口の海岸線をご覧いただいた後、紫電改が沈めてある水槽を目を丸くしてご覧いただきました。とてもやさしい方でした。

水槽に浸ける前の紫電改のエンジン部分を背景に。リュック姿が浦沢直樹さん。

帰り際、お礼にと言って描いてもらいました。記念の一枚『あさドラ!』

                                 (おわり)